2012年9月15日土曜日

新選組を生んだ土壌、「千人同心」

戦国最強を謳われた甲斐・武田家が滅ぶと、徳川家康はその優秀な遺臣たちを多く召抱え、武蔵と甲斐国境の「甲州街道沿い(多摩)」に配置して、国境警備に当たらせた。そして、これが「八王子千人同心」の始まりとなる。

江戸時代、天領(幕府直轄地)となった多摩を守り、家康公が眠る日光を守ることともなった「千人同心」には、徳川幕府の恩顧に応え、それを守らんとする高い矜持があった。



そのため、武芸を磨こうとする気風も高く、それがのちの「天然理心流」という極めて実践的な流派を生み出すことにもつながる。そして、その四代目こそが「近藤勇」。新選組を生んだ男である。

すなわち、新選組の源流は甲斐・武田家にさかのぼる武士集団「千人同心」にあることになる。新選組が幕末の動乱にあって、幕府・徳川家への「義」を貫き、「誠」を示したのには、こうした背景があったのである。



出典:歴史街道 2012年 09月号
「八王子千人同心と新選組」

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