2012年11月27日火曜日

水戸黄門さまの生前の墓が言うには…


「天下の副将軍さま」だった水戸光圀公、いわゆる「水戸黄門」が隠居して最初にやった仕事は、「自分の墓」を建てることだった。

本人の生前に建てられる墓のことを「寿蔵(じゅぞう)」というらしいが、その墓の裏面に刻まれた文章は、水戸黄門さま自らが考案し筆を取ったと言われている。



その文章の中にこんな一節がある。

「有ればすなわち、有るにしたがって楽胥(らくしょ)し、無ければすなわち、無きに任せて晏如(あんじょ)たり」

意訳すれば「あって幸い、なくて幸い」といったところか。ここには、じつに柔らかな考えが示されている。



こうした柔軟性は随所に見られる。

「歓びて歓を歓びとせず、憂へて憂を憂とせず」

ここには、物事に一喜一憂しない様が見て取れる。



じつはこの碑文の文章とは裏腹に、若き日の光圀公はチクチクに尖(とんが)っていたという。

たとえば、神道以外の宗教は一切認めず、仏教は「頭から否定した」。その頑なさは思想全般に渡るもので、自身が信奉する儒学以外の言論を認めようともしなかったという。



黄門さまが隠居するのは52歳だったというが、その頃までには十分にほぐれていたのであろうか。

「神儒(神道と儒学)を尊んで、神儒を駁す。仏老(仏教と老荘思想)を崇めて、仏老を排す」と碑文にはある。

「駁(ばく)す」というのは、反対するということであり、「排す」というのは、退けるということである。神道も仏教も、儒学も老荘思想もみんなひっくるめて大事にはするが、必ずしもいずれかを絶対視して言いなりになるわけではない、と宣言している。

柔らかいような、尖っているような…。



宮本武蔵は「独行道」でこう書いた。

「神仏を尊んで、神仏を頼まず」

黄門さまにも武蔵にも通じるのは、「行雲流水(こううん・りゅうすい)」。自然のままに流れゆくことなのかもしれない。



死ぬ前に墓を建てた水戸の黄門さまは、いったい何を思い、何を伝えようとしたのであろうか?

ひょっとしたら、この碑文は自分自身への戒めだったのかもしれない…。





出典:致知2012年12月号
「生前に自分の墓碑銘を刻む 水戸光圀」


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