2013年3月18日月曜日

「祭り」といえば、欠かせぬ「酒」



仏教は「悟り」の宗教、キリスト教は「祈り」の宗教。

では、神道は?

「『祭り』の宗教です。日本全国で一年間に行われる祭りの数は30万回以上。毎日、平均820回以上の祭りが、日本のどこかしこで行われているのです」と、松尾大社(京都)の佐古一洌(さこ・かずきよ)宮司は言う。



「神饌(しんせん)の上がらぬ祭りなし」

そう言われるように、神様のお食事である神饌(しんせん)の献供なくして、祭りは始まらない。そして、その神饌の中には必ず「お酒」が供えられている。

佐古宮司の松尾(まつのお)大社は「酒の神」。1,300年の昔から、酒造りの技術をもっていた新羅系の渡来人「秦氏(はたし)」との関わりが深い。







「秦氏の中に須須許里(すすこり)という方がおられて、この人が『お米を噛んで』お酒を造ったのです」と佐古宮司は語りだす。

「そのお酒を天皇様に差し上げたところ、天皇様はたいそう喜ばれた」



♪ 須須許里が、醸(か)みし御酒(みき)に、我酔いて

  事無酒(ことなぐし)笑酒(ゑぐし)に、我酔いにけり ♪
 
上機嫌の天皇様は、こんな和歌を詠んだそうだ。

「つまり、須須許里が造ったお酒を飲んで、平穏な酒(事無酒)で、ニコニコ顔(笑酒)になったということです(佐古宮司)」



その当時のお酒は「一夜酒(ひとよざけ)」がほとんど。そして白黒の二種。

「白は濁り、黒は木灰を入れて黒くしたもので、粥状の薬用酒です」と佐古宮司。

清酒が供進されるようになるのは、明治以降とのこと。



さすが、酒の神を祀る松尾大社の宮司、酔ってもいないはずが、お酒の話が止まらない。

「お酒を飲めば正直になります。『酒の中に真あり』と云われるように、お酒を飲むと本心を言うのです。逆に『盃の縁から秘密が漏れる』というのもありますが…」

「『飲酒十徳』というのは、お酒を飲むと十の徳があるということ。ですが、『飲酒三十六過』というのは、酒を飲めば36の過ちがあるということ…」

「酒は『百薬の長』か、それとも『百毒の長』か…」



とりあえず、その辺で…。






出典:致知2013年4月号
「祭りは真心の発露である 佐古一洌」

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