2013年4月1日月曜日

神中の神「アマテラス」、神社中の神社「伊勢神宮」



人の世界において、天皇は諸王や廷臣たちに「位階」を与え、その最高位を「正一位(しょういちい)」としていた。

神々の世界にも同様、位階なるものが存在する。それを神階という。

最高位は人同様、正一位の神であり、官幣大社(かんぺいたいしゃ)と呼ばれる上位の神社を統べるのは、正三位以上の神でなくてはならなかった。その格下の官幣中社となれば従四位以上の神々である。



ところで、日本には数多くの「神宮」が存在するが、その頂点に君臨するのは「伊勢神宮」である。

ちなみに、古来より神宮と名乗っているのは鹿島神宮と香取神宮だけであったが、明治の王政復古以降、多くの神社が名前を神宮に変更し、そのうちでも伊勢神宮が最上位とされるようになったのだという。



その伊勢神宮に祀られるのは「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」。

じつは、この神中の神、神階(位階)をもたない。というのもアマテラスはいわば、人の世の天皇のような存在であり、八百万の神々に神階を授ける立場にあるとされているのである。

人界の最高位である天皇に位階を授ける人間がいないように、アマテラスに神階を授けられるほど偉い神様は存在しないのである。



アマテラスは天上界の主宰神であり、人界の天皇の皇祖神(皇室の祖先)でもある。つまり大本の大元だ。

「アマテラスを主祭神とする伊勢神宮は、神社の格や神階をはるかに超えた別格の存在なのである(井上宏夫)」



ところで、それほどの神がなぜ、都ではなく、伊勢の地に置かれているのだろうか?

どうやら、神々同士にも相性というものがあるらしく、崇神天皇が都に祀った倭大国魂(やまとおおくにたま)とアマテラスとは、ともに我慢がならなかったようである。



都を去ったアマテラスは、いったん大和の笠縫邑(かさぬいむら)に遷るのだが、最終的には伊勢の地に至ることになる。

伊勢に着いたアマテラスは、この地がお気に召す。

「不死の国である常世(とこよ)からの波が、伊勢の国には絶えず打ち寄せる。この美しい国に私は住む」と日本書紀にはある。これが伊勢神宮の起源とされる。



さて、今年2013年は、伊勢神宮の式年遷宮(しきねん・せんぐう)の年である。

式年とは一定の期間という意味であり、伊勢神宮の場合、20年に一度、内宮・外宮をはじめ、神宮所蔵の神宝にいたるまで、そのすべてが新調されることになる。

大昔に、天武天皇がそうせよと命じたのだという。



なぜ、つくり替えられるのか?

古代の技術・技法の伝承という側面もあるように、遷宮のたびに「古代の記憶」が蘇る。



ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、蘇った神宮の印象をこう語っている。

「これらの建造物は簡素に見えるので、それに捧げられる尊称の念が不思議にさへ思はれるほどである。それは農家を想起せしむるものであり…」



古代より脈々と受け継がれきた建造物は、西洋人の目に「農家のような簡素さ」として映ったようだ。

確かに、アマテラスが祀られている正殿には「古代人の素朴な匂い」が漂っているようであり、まさかそれが神中の神の場とはブルーノには思えなかったのかもしれない。



しかし、それこそが「農耕に生きた日本人の根源」であった。

「田圃に黄金色の稲穂が垂れた里山の光景を連想させる伊勢神宮は、日本人にとっての原風景なのである(井上宏夫)」



華やかさとは無縁な、素朴な社殿に祀られているアマテラス。

アマテラスが五十鈴川の上流に鎮座してから、すでに二千年以上。よほどにこの地がお気に召したようである。

そして、アマテラスを祖先とする皇室は、神の香りを人の世へと伝えているかのようである…。






出典:大法輪 2013年 04月号 [雑誌]
「伊勢神宮を知るために 井上宏夫」

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