2013年11月14日木曜日

文武両道とは? [宇城賢治]



話:小林信也


ある席で、「文武両道」の話がでた。

日本在住のアメリカ人が「今の日本には、文武両道を生きる人がいない」という主旨の本を出版した。著者いわく、「アメリカには、メジャー・リーガーでありながら医者になったり、NFL(プロ・フットボール)の選手が引退して弁護士になるなどの例がたくさんある。勉強もするし、スポーツもする。ところが最近の日本では、そういう人材がほとんどいない」と言う。


この話を聞いて、宇城師範が言った。

「文武両道の本質は違うんですよ。ほとんどの人は、文と武の二つができて文武両道だと思っている。そうじゃありません。われわれは、文と武、ふたつで一つという発想なんです」

文だけでもダメ。武だけでもダメ。文と武が”両方できてもダメ”。できる、というレベルが相対的な比較で、いずれも自転車に乗れるレベル(頭で考えずとも身体で知っているレベル)に届いていなければ、文武両道の本質は満たされない。

宇城師範の話を聞いていると、ある水準を超えてできる「身体脳(身体が二度と忘れない行動回路。たとえば自転車)」ができると、文も武も一緒。文武両道とは「物事を成し遂げる方法を身体で知っていて、それが身体でできる人」ではないだろうか。勉強でもスポーツでも、自転車に乗れるレベルに達していなければ、文武両道ではない。

本来、その本質を肌でわかっているはずの日本人が、当たり前の基準を忘れている。だから最近は、文と武ができる人を安易に文武両道ともてはやす傾向がある。





引用:『古伝空手の発想 身体で感じ、「身体脳」で生きる 』小林信也 監修:宇城憲治



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