2013年11月14日木曜日

剣の奥義「水月」



話:鈴木大拙


剣道の最後の段階には、十分資格のある師範だけにしか与えられぬ奥義がある。腕の鍛錬だけでは不十分である。腕の熟達だけではまだ弟子気分を超えない。この秘伝(奥義)は「水月」といって師範のあいだに知られている。

ある著者によると、つぎのように説明されている。

「水中の月とは、どういう意味であるか?」

「剣道の各流儀ではいろいろに説明されているが、要するに、水のあるところ如何なるところにも、月が『無心』の状態で映る、その映りかたを会得することである。嵯峨の広沢ノ池のほとりで詠まれた御製の一つに、

うつるとも月もおもはず
うつすとも水もおもはぬ
広沢の池」


この歌から、人は無心の秘訣を洞徹するに違いない。そこには人の手による工夫の痕は一つもない、あらゆるものが大自然に任される(それは禅の教えである「無心論」)。

「さらにそれは幾百の流れに映る一つの月の如きである。

 月光が幾百の影に分かれるのではなくて、影を映す水があるのである。月光はそれを映す水がないところでも、依然おなじことである。さらにまた、多くの水があるところでも、ささやかな水溜りのところでも、月の光に変わりはない。

 これから類推すれば、心の神秘は理解しやすい。しかし、月と水とは触れうる物質である。心には形なく、その働きは跡づけ難い。象徴はかくして全ての真理ではなくして、暗示にすぎぬ」



引用:鈴木大拙『禅と日本文化 (岩波新書) 』第四章 禅と剣道



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