2013年2月28日木曜日

この平和な時代に、戦後なみの借金(日本)



日本政府はずいぶんと借金を抱え込んでしまったものだ。

その残高(GDP比)は、なんと第二次世界大戦の終戦直後に比肩するほどだ(GDP比200%以上)。

戦争もしていない平和な時代に…(逆に平和ボケ?)。



ちなみに戦後の日本は、300%というハイパーインフレで、その膨大な借金を帳消しにすることに成功している(物価が上がれば、過去の借金の価値は相対的に低下する)。

しかし、現在の日本のような成熟国家に、ハイパーインフレという道は残されていない(1980年代のアルゼンチンには残されていたようだが…)。



過激な手段としては「デフォルト」というものもある。

もう借金は返しません、と開き直るのだ。アルゼンチンはこれが得意である(1930年代、1980年代)。

だが、日本はこれもできないだろう(性格的に?)。



では、どうするか?

アメリカとイギリスの例は、アルゼンチンよりもよっぽど参考になる。

アメリカは、3〜4%の経済成長を続け、マイルドなインフレとともに、20〜30年かけて財政を再建させた。イギリスも同様だ。

なるほど、日本も20〜30年という「根気」が必要なのかもしれない…。






出典:盛衰―日本経済再生の要件 (島田晴雄)

2013年2月27日水曜日

その正義は、人々を分裂させるだけなのか?



「正義をふりかざす人ほど、困った人はいない…」

そんなつぶやきが、被災地から漏れ聞こえてきた。

「一方的に放射能の恐怖などを声高に叫ばれても…」



正義を口走った時に生まれるのは、調和ではなかった。

「分裂」しか生み出さない…。



「だから、正義、正義とわめかないでほしい…」

それが正直、被災地の方々の本音だった。



詩人・田村隆一は、「木」という詩に、こんなフレーズを詠んでいる。

「木は愛とか正義とか、わめかないから好きだ」



太平洋を隔てた「正義の国」アメリカでは、弁護士ブライアン・スティーブンソンが、似たようなことをTEDの講演で訴えていた。

「この世界の大半で、貧困の対極にあるのは富ではありません。むしろ『正義』なのです」

この正義の国は、13歳の少年を死ぬまで牢屋に入れておくことのできる、世界で唯一の国。そして、殺人の被害者が黒人ではなく白人だと、11倍も死刑になる可能性が高まり、もし殺したのが黒人で、殺されたのが白人ならば、その確率は22倍にまで跳ね上がる。



「もし、その正義が分裂を生むだけならば、そんな正義は犬にでも食わせてしまえ」

そんな言葉も言いたくなろう。



先の詩人・田村隆一は、「ほんとうに木はわめかないのか?」と自問する。そして、こう答える。

「木は愛そのものだ。それでなかったら、小鳥が飛んできて、枝にとまるはずがない」

「正義そのものだ。それでなかったら、地下水を根から吸い上げて、空にかえすはずがない」






出典:致知2013年3月号
「人生を照らす言葉 鈴木秀子」

2013年2月26日火曜日

木は黙っている



木は黙っているから好きだ

木は愛とか正義とかわめかないから好きだ



本当にそうか?

本当にそうなのか?



木はたしかにわめかないが

木は愛そのものだ



それでなかったら

小鳥が飛んできて

枝にとまるはずがない






抜粋:田村隆一「木」

2013年2月25日月曜日

悪の根源とは「知らぬふり」か? ドストエフスキー



「『翻訳』の仕事は読書とはまるで別物で、大変なストレスのかかる仕事である。何百時間、何千時間にもわたって、ひたすら相手の話を聞き続けるようなもので、それはフルマラソンをするよりも遥かに苦しみを伴うものである」

「亀山郁夫(かめやま・いくお)」氏が、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の翻訳に投じた時間は、3,000時間以上(一日8時間としても一年以上)だという。



それでも、物語後半のラストスパートに入ると、その昂揚感は何ものにも代えがたいものがあったという。

「なぜ、これほどまで面白いのか!」

その抑えがたい興奮から、「この面白さが皆にも分からないはずがない」という確信が芽生えた、と亀山氏は語る(のちにこの書はミリオンセラーに…!)。






ドストエフスキー作品の多くには、人間のもつ原罪とともに、「やむにやまれず犯してしまう罪」が描かれている。

「はたして、ドストエフスキーが小説を書く上で、重要視した倫理観とは何だったのか?」



亀山氏の仮説の一つは「使嗾(しそう)」。すなわち、他者を唆(そそのか)すことによって、欲望を実現すること。

「『罪と罰』の主人公のように、自分の手を汚す犯罪には、まだ救いがあるように感じるが、人を唆(そそのか)すという行為には、人間の悪魔的な原理が存在しているのではないか」と、亀山氏は考えた。



そして、3,000時間という翻訳の時を経て、亀山氏の仮説は確信に変わる。

と同時に、「カラマーゾフの兄弟」の最終的なテーマが、使嗾(しそう)ではなく「黙過(もっか)」であることに気づかされる。

「つまり、我が身は完全に安全地帯に置いた上で、この世の悪や不幸な人を知らぬ風をして、そのままにしておくことの犯罪性。それをドストエフスキーは『悪の根源』と捉えていたのではなかろうか」と亀山氏。







ドストエフスキーの生きた19世紀後半、ロシアはアレクサンドル2世の統治下で、さまざまな不幸が氾濫していた。

「実際に目の前にいる不幸な人々を、神はなぜ救わないのか? われわれ人間は神から見捨てられ、黙過された存在ではないのか?」

そんな思いを強烈に抱いていたドストエフスキーは、20代後半で国家反逆罪を問われて「死刑宣告」を受け、酷寒の地シベリアへと送還されてしまう。



幸いにも、ドストエフスキーには恩赦が下された。

そして、解放された彼はこう叫ぶ。

「人間というのは、生きられるものなのだ!」






出典:致知2013年3月号
「人間というのは生きられるものなのだ! 亀山郁夫」

2013年2月24日日曜日

天地を開く「拍手」



「ぱーーーん」と鋭い音が鳴った。

渋川春海は無意識に拍手を打っていた。







何のための拍手か?

「心の異変において、仏教徒が阿弥陀仏を唱えるように、キリシタンが思わず手で十字を切るように、この咄嗟のときに、それが出た」



左手は火足(ひたり)、すわち陽にして霊。

右手は水極(みぎ)、すなわち陰にして身。

「拍手とは、陰陽の調和、霊と身の一体化を意味し、火と水が交わり火水(かみ)となる」



「手を鋭く打ち鳴らす音は、天地開闢の音霊(おとだま)。無に宇宙が生まれる音である。それは天照大御神の再臨たる天の岩戸(あまのいわと)開きの音に通じる」

拍手が鳴れば、そこに天地が開く。







ある禅僧は、こう問うた。

「右が鳴ったのか、はたまた左か?」



右でも左でもなく、右であり左でもある。

陽でも陰でもなく、陽であり陰でもある。

霊でも身でもなく、霊であり身でもある。






出典:天地明察 (冲方丁)

2013年2月23日土曜日

残雪のシャクナゲに、生をみて…。



子供のドライミルクも買えなかった…。

やっていた店が倒産して、今さっき、女房ともケンカして出てきたばかりだ。



そんな話をアルバイトの面接で、正直に言った時だった。

「おまえは馬鹿か!」

その会社の会長「奥野博」氏は、足下に男を一喝した。そして、その男に金を渡した。

「あそこの薬屋でドライミルクを買って、それを家に置いて出直してこい!」



その男は、のちに映画「おくりびと」の原作となる書を世に送り出す作家「青木新門」氏。

その後、一喝された会長の会社に入社することになった青木氏は、「じつは、家族を捨てて東京で作家になろうと思っていたのです」と打ち明ける。






すると奥野会長は、こんな話を語りはじめた。

「そうか…。俺も富山から逃げ出そうと思ったことがある。

 この仕事を始めて間もなく、資金繰りに困り、気づいたら朝日岳を登っていた。道に迷い、ここで死んでもいいと思った時だった。

 残雪の崖にシャクナゲが咲いている。

 こんな寒い雪の中で花を咲かせている。そう思うと、死んでなるものかと引き返した」





奥野会長は続ける。

「親や女房子供を捨てたり、ふるさとを捨てて何をやっても、結局はうまくいかないものなのだ。

 根なし草のように根付かない。一時はうまくいっても、いつか破綻がくる」



オークスグループ会長、奥野博氏は、昨年(2012年)11月5日、逝去された(享年84歳)。

「会長、いまどこにおられます? シャクナゲの花の光の中でしょうか?」

青木氏は、追悼の文の中でそう叫ぶ。

「遅かれ早かれ、私もそこへ参ります。また、『おまえは馬鹿か!』と叱ってください…」






出典:致知2013年3月号
「追悼」

2013年2月22日金曜日

達人・塩田剛三の「タコとスジ」



「おい、ハサミもってこい」

合気道の「塩田剛三」館長は、ひと月半に一度はハサミで「足の親指のタコ」を切っていた。そして、そのたびに内弟子にハサミを持って来いと命じるのだった。



「ハサミぐらい、いつも館長室に置いておけばいいのに…」

内弟子だった頃の安藤師範は、ハサミを持っていくたびに、内心そう思わずにいられなかった。



ある時、内弟子たちの中で、「身体を転回する時、足のどの部分を中心に回転すればいいのか?」が議論されていた。

さまざまな意見が飛び交う中、「あっ…! 館長のあのタコこそ、その中心なんじゃないか?」と安藤師範は閃いた。



館長のタコは、足の親指の付け根の横にあった。安藤師範はハサミを持っていくたびに、その位置を自分の目で確認していた。

「ひょっとしたら、それを教えるために、わざわざ我々にハサミを持ってこさせて、タコの位置を見せてくれていたのでは?」






またある時、お風呂で塩田館長の三助(背中流し)をしていた安藤師範は、館長の腰から脇にかけて「グッと盛り上がった独特のスジ」があることに気が付いていた。

「館長以外に、あのスジがあれだけ発達している人は見たことがない。きっとあのスジは合気道の極意につながる大事な要素に違いない」



そう思った安藤師範は、その脇のスジを鍛えるために、自転車のチューブを引っ張ったり試行錯誤して鍛えてみた。

しかし、いっこうに「そのスジ」は浮かび上がってこない。どうやら、そのスジはやはり筋肉ではなく、スジのようだ。



「私自身に、このスジが浮かび上がってきたのは、ここ10年ぐらいのことですね」と安藤師範。

じつはこの脇のスジ、合気道の稽古を積み重ねていくと、自然に出てくるものであったらしい。

「基本動作を長年繰り返し、なおかつ肩に力が入らないようにしていくと、この脇のラインの意識ができてくるんです」と安藤師範。

その脇のスジがあってこそ、肩に力が入らず胸が開き、構えが変わってきて、技の効果も違ってくるのだそうだ。






出典:月刊 秘伝 2013年 02月号 (特別付録DVD付)[雑誌]
「塩田剛三館長と安藤毎夫師範」

2013年2月21日木曜日

「天国」には逃げぬ(ブッダ)



「天国」というのは、「逃げ場所」なのか?

少なくともブッダは、そうだと考えた。



ブッダの生きた時代のインドでは、「バラモン教」が広く知られていた。

その聖典によると、こう説かれていた。

この宇宙は梵天が中心になっていて、人は死んで火葬に付されると、その魂は煙に乗ってまず「月」の方へと上っていく。そして、月からさらに神の道をたどれば、「天国」へ生まれ変わることができる、と。



しかしブッダは、こうした天国志向を「逃避主義」として、真っ向から批判した。

そんな理想主義は捨ててしまえ。その代わりに、苦しみのこの現実世界にこそ、「楽土(天国)」を建設せよ、そうブッダは教えたのであった。






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「仏教は天国に生まれることを目指す宗教?」

2013年2月20日水曜日

何もせぬ間(ま)。世阿弥と現代



私たちは誰しも、「4つの間(ま)」に生きている。

それは「時間・空間・世間・人間」という4つの「間」である。



しかしながら現在、これらの「間」はギチギチに詰まってしまい、はなはだ息苦しく、居心地が悪くなってしまっている。

現代文明はあたかも「密度を高めることが進歩発展」と思い込んでいるかのようだ。あらゆる隙間は「ロスやムダ」として埋められていく一方である。



かつて能の世阿弥は、芸と芸との間の「何もしない間(ま)」を至芸とした。

逆に、演じすぎる芸を見苦しいとしたのである。

世阿弥の言う「何もしない間」とは、「せぬ隙(ひま)」とも呼ばれるものだ。



「せぬ隙」とは、芸を生かすための空虚の間、充実した空である。

この「せぬ隙」が芸にあることにより、能が抜群の生気を帯び始めるのである。






ところで現在、ギチギチに詰まってしまった4つの間(時間・空間・世間・人間)に、間を入れ、間のびさせ、遊びを入れようとする人たちもいる。

それはたとえば、落ちこぼれやニート、オタクなどと呼ばれる人々かもしれない。

そうした人々は、世間では「間抜け」とも蔑まれる。俗世のルールや価値観に従わず、日常の約束事も守らぬのだから…。



しかし、4つの間に隙間があってこそ、やっと人は息をつける。

「意味」でぎっしり詰め込まれた俗世に、「無意味」を忍び込ませることで、ようやく息がつけるのだ。

「せぬ隙」によって、能が生気を帯び始めるように、人々は間が抜けて初めて、生き生きとしてくる。



この世で、一番きれいなこととは?

「何がきれいといって、空っぽにまさるものはない」






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「空っぽ賛 藤原成一」

2013年2月19日火曜日

愛犬と大蛇と…。多賀大社に伝わる物語

「お伊勢に参らば、『お多賀』に参れ。

お伊勢はお多賀の子でござる」

そう俗謡に歌われる通り、多賀大社(滋賀県)の祭神は「イザナギ(男神)とイザナミ(女神)」。その夫婦の子供がアマテラス、伊勢神宮の祭神である。



「伊勢へ七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」

伊勢・熊野と並んで、多賀大社への参詣はかつて庶民たちで賑わったのだという。

そうした賑わいが描かれた、多賀大社の「参詣曼荼羅図(さんけい・まんだらず)」。そこには、多賀大社の位置する「犬上郡」という地名の由来についての物語も描かれている。






むかし昔、不知也(いさや)川のほとりには、一人の狩人が住んでいた。鹿やイノシシを射ることを生業とする猛々しい男だ。

ただ、その荒くれ男も、いつも狩りに連れていく「犬(小白丸)」ばかりは、とりわけ大切に可愛がっていた。



ある日、鳥籠山(とこのやま)で鹿を追っていたその狩人は、奇岩だらけの淵を下るうちに、日が暮れてしまった。

しかたなく、朽ち木の根元で一夜を明かそうと思った男は、弓矢を揃え置き、愛犬・小白丸(こじろまる)を傍らに眠りに就いた。



ところが深夜、小白丸が突然はげしく吠え始めるではないか。

男がいくら宥めても、叱りつけても、ますます吠え狂う小白丸。

思わずカッとなってしまった男。腹にすえかねて刀を抜くと、あろうことか、小白丸のクビを跳ね飛ばしてしまった…!



暗闇に飛んだ小白丸のクビ。

それは男の頭上の大枝に食らいつき、そして落ちた。

ん? 落ちた愛犬のクビがくわえている大枝をよく見ると、それは枝ではなかった。「大蛇」であった。



きっと、この樹上の大蛇は、狩人を狙っていたのであろう。

幸いにも愛犬・小白丸のクビは、その大蛇のノドにがっちりと噛みつき、大蛇を即死させていた…。

その健気な愛犬のクビを見るや、狩人は大いに嘆き、そして悲しんだ。



のちに男は、その場に祠(ほこら)を建て、命を救ってくれた愛犬・小白丸を神として祀る。

この祠の名が「犬神明神」。それがそのまま地名となる(犬神郡、現在は犬上郡)。

ちなみに、その淵は「大蛇の淵」、その川は「犬上川」と呼ばれている。



こうした絵説法は、多賀大社の僧侶(坊人)たちによって語り継がれてきた。

坊人たちは、こうした物語の描かれた「参詣曼荼羅図」を携えて全国各地を行脚し、その先々で多賀大社にまつわる話を語り聞かせて歩いたのだ。

紙芝居のような坊人たちの話は、行く先々でたいへんな評判になったそうである。






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「神と仏の物語 多賀明神」

2013年2月18日月曜日

何度も何度も蘇る。「生田神社」



「神戸(こうべ)」という地名は元々、同地に昔からある「生田神社(いくた・じんじゃ)」に由来するのだという。

平安時代に著された「新抄格勅符抄」には、「大同元年(806)、神社に奉仕する封戸である神戸(かんべ)四十四戸が朝廷より与えられた」との記述が見られる。

この地一帯を社領としていた神戸(かんべ)が、時代を経て紺戸(こんべ)になり、ついには「神戸(こうべ)」になったというわけだ。



なるほど、神戸は「生田神社」あっての地であったわけだ。

では、その生田神社の由来はというと、遠く神功皇后(じんぐう・こうごう)にまでさかのぼる。日本書紀などによれば、神功皇后は妊娠したまま新羅(朝鮮半島)にまで出兵したという勇ましさを持つ。

ちなみに、神功皇后に攻められた新羅は、戦わずして降伏。ついで朝鮮半島の残りの二国(百済、高句麗)をも日本の支配下に入ることとなる(三韓征伐)。



その神功皇后が瀬戸内海を通り、大和へと帰る途上であった。今の神戸あたりで船が進まなくなってしまったのは。天候の変化で風がなくなり、潮の流れも止まってしまい、人の力ではどうしようもなくなってしまったのだった。

この苦境に登場するのが「稚日女尊(わかるひめのみこと)」。この女神は文字通り、稚(おさな)くみずみずしい日の神。地上に生まれた万物を守り、その成長を加護する神である。



この女神は言った、「活田(いくた)に居りたい」と。

その通りに女神をお祀りすると、翳っていた天候は回復。風が生まれ、潮が流れ始めて、めでたく神功皇后の船は大和へと帰り着くこととなる。

女神・稚日女尊が居りたいとおっしゃた「活田(いくた)」、それが今の生田(いくた)神社ということだ。



延喜式によれば、生田神社には各地から稲が集められて、神職によって「酒」が造られたことが記されている。瀬戸内海に面したこの土地は、新羅から海を渡って訪れる使者に酒をふるまっていたのだという。それが灘(なだ)五郷の酒造りの起源となる。

ところが延暦十八年(799)、生田神社は山全体が崩壊するほどの「大洪水」に見舞われてしまう。

現在の生田の森は、その大洪水の折りに、御神体を安全な場所に移したところなのだという。つまり、生田神社の移転は、先人たちから伝わる重要な「防災のメッセージ」なのでもあった。



ちなみに、現在の生田の森には「松の木」が一本もない。

それは、延暦の大洪水のとき、社の周囲に植えられていた松の木が、洪水を防ぐのにまったく役に立たなかったから、それ以後、決して松の木が植えられなくなったからなのだそうだ。

今でも、元旦には門松は立てずに、「杉飾り」を立てているほどの徹底ぶりである。



生田神社の受難は、この大洪水ばかりではない。

その後、何度も何度も天災、そして人災に見舞われる。



第二次世界大戦の最末期(1945)、アメリカ軍による神戸大空襲。市街地は絨毯爆撃の標的となり、都市部の2割以上が壊滅。死者は8,831人、負傷者は15万人という未曾有の大被害を受けた(計128回もの空襲)。

むろん、生田神社もその無差別な爆撃を免れることはできなかった。社殿も鳥居もすべて全焼。残ったのはわずかな石垣だけだった…。

黒焦げの焼け跡となってしまった境内は、焼け出された市民の避難所になり、日々の糧を得るための芋畑となった。仮の本殿はしばらくはバラック作り。再建された本殿が今のかたちに整うまでには、じつに14年もの月日を必要とした。



そして18年前の阪神大震災(1995)、せっかく復興を果たした本殿はまたもや全壊。

それでも生田神社は蘇った。

「今、生田の森をバックに甍(いらか)をそびやかす朱の拝殿こそ、あの日燃えた神戸の『復興のシンボル』であるのは紛れもない」。



何度でも蘇り、何度でも生まれ変わる生田神社。

その主神である稚日女尊(わかるひめのみこと)は、先述したように、つねに若々しく新しい命をもつ女神。万物が育ち、生い立つのを加護する神である。

やはり、この蘇りの神の力であろうか、何度でも生田神社が生まれ変わるのは…。



現代の世においても、なお崇敬を集める生田神社。

盛者必衰の理(ことわり)をものともせずに、この神社は今も変わらず、市民たちから親しまれる祈りの場として受け継がれている。






出典:大法輪 2013年 03月号 [雑誌]
「航海に祈りをこめて 瀬戸内に臨む神仏 生田神社」

2013年2月17日日曜日

「整った体」とは?



「身体を整える」というのは、どういうことか?

そのためのキーワードは「中心に集めること」だと言うのだが…。



「整った体」は力が中心に集まって充実している。

その反対に、疲れれば疲れるほど、力は外側へ逃げていく。



そのようにして疲れが溜まって、中心から逃げてしまった力は、本来であれば休息や睡眠をとることで元に戻るはず。

しかし、疲れが溜まりすぎてしまうと、「整体」などの力を借りる必要も出てくる。



「体を整える技術としての整体は、まず、中心にあるはずの力がどこに逃げているのかを見極めます」

そう語りるのは、整体師の「谷澤健二(たにざわ・けんじ)」先生。

「そして、体のあちこちにある急所を刺激することで、逃げている力を末端からドンドン集めて、中心に戻していくのです」



たとえば、腰へ力を戻すために足先の急所を使うこともあれば、腕の急所を使ってお腹を変化させることもあるという。

「ですから例えば、ヒザを痛めて来院された患者さんのヒザを、まったく触らないということもよくあります」と谷澤先生。

一般的な西洋医学であれば、腰が痛ければ腰を、ヒザが痛ければヒザを診るのが普通であろう。しかし整体では、「逃げている力を中心に戻すこと」を最大の目的にして全体的なバランスを整えるのだそうな。



「中心に力が戻ると、体は自然治癒力を発揮して、勝手に治っていきます」と谷澤先生。

どこか痛いところがあったとしても、必ずしもその部分が悪いとは限らないのだという。

「薬に頼らずに、体が自力で乗り越えていくことで、筋力や持久力ではない、本当の意味での体力が養われるのです」



ちなみに、中心に力が集まっている体とは、「腰にバネのような弾力があり、無駄な力が抜けている状態」だという。

はたして、あなたの腰には「弾力」が十分に保たれているだろうか?





ソース:1日1分1体操だけ! 腿裏を伸ばせばカラダが変わる!