2014年5月3日土曜日

百年 河清をまつ


話:石川好




 物事の解決方法というのは、ある国は裁判で解決するとか、いろいろ話し合いでするなどがあるわけです。しかし、中国での物事の解決の仕方というのは、中国の古い言葉を利用して言えば「百年河清を俟(ま)つ」ということです。

 「河清」というのは「河が清くなる」の意味です。つまり、「100年間で河が清くなります」という言い方なのですね。この河は黄河のことです。黄河というのは、濁流、激流で、「黄色い河」と言うように濁っています。激流で、黄土高原から流れ込んでいる土砂を巻き込んでいますから、本当に濁っているわけですね。

 しかし、そのように濁った黄河も100年経てばやがてきれいになるのだと、という意味です。もちろん黄河というのは100年経ってもきれいになっていませんけれども、一つの例えとして、中国人の物事を解決する方法として使われる言葉なのです。



「百年河清を俟つ」

 「こんな濁った黄河であっても、100年も経てばどこか清らかな飲めるような水になるであろう」と、そういう言葉があるわけなのです。これは私の理解では、中国的な物事の解決方法を表した言葉だと思います。
 


 例えば、深セン市は、鄧小平の開放改革発祥の地ですが、その深センのど真ん中の鄧小平の大きな肖像画の横に「改革開放百年不動」という文字が大きく書かれています。

 鄧小平が改革開放をやったとき、「中国共産党のやることはたった一つ。100年間政治改革は一切やるな」という意味です。「政治的なことは一切いじらないで、ひたすら市場経済の改革開放だけに一意専心しなさい」と言っているわけです。100年ぐらい経済一点張りのことをやって経済さえ良くなれば、今の一党独裁のやり方であっても、いずれ政治的な難しい問題もさほど問題ではなくなる。そういう可能性があるから「改革開放百年不動」という言葉を使ったのですね。

 ですから、対中国との付き合いの中では、時間軸、時間の長さをわれわれの基準のおそらく100倍ぐらい長く考える必要があるわけです。



 こういうおもしろいエピソードがあります。

 1972年にニクソン大統領が訪中して周恩来や毛沢東と会うという歴史的出来事がありました。そして、当時の大統領補佐官で、隠密外交によりこの会談の実現に奔走したキッシンジャーという人がいました。

 彼は、もちろん現代を代表する外交史家であり歴史家であり、プラクティカルな人でもありますから、毛沢東とお話をするとき、例えばある案件で、「この問題はいつ解決しましょうか」と、時間を区切る言い方をします。現代の政治家ですから。

 すると毛沢東は「いや、キッシンジャーさん、この問題は1万年後ぐらいに解決しましょう」と、こう言ったわけです。当然、びっくりしてキッシンジャーが「1万年後では、地球がどうなっているか分からない。1万年は長いでしょう」と言ったら、毛沢東がなんと言ったかというと、「では、10分の1にして、1,000年先に米中関係でこの難しい問題を解決すればいいではないですか」と答えて、キッシンジャーはのけぞるわけですね。

 毛沢東は冗談でそう言ったかというと、そうではないのです。彼らの思考の中にある考え方というのはそういう時間軸で、「この問題は1万年後ぐらいでいい」ということなのです。ですから、中国人のそういう人たちにとっての1万年というのは、われわれにとっての100年とかそういう単位のものなのですね。



 これは戦争のときもそうなのです。

 日本が満州事変を起こしたときに、毛沢東が延安の山奥の中で、「これで勝利が決まった」という言い方をします。そのときは、日本軍は満州三省(遼寧省・吉林省・黒竜江省の東北三省)に100万、200万の兵隊もっていって、その威力でもって中原、北京に入り、そこで戦争を起こした。

 誰の目から見ても圧倒的な日本の軍事力があり、そういうことから見れば、明日にでも北京、上海が陥落するというように見える状況でした。間違いなく軍事的には日本が要所を制圧すると思われたのですが、しかし一人、毛沢東だけは、延安の山奥で、日本のその実力を見たこともないにも関わらず、「これで勝った」と言ったわけです。

 要するに、それはどういうことかと言うと、日本軍が満州を越えて中原に入ってきたということは、中国と百年戦争を始めるのだという感覚なのです。そこで、100年間この大陸の中で日本軍がもつわけがない。だから中国が勝ったと言ったのです。彼は本当に粗末な武器しか持っていない紅軍長征の軍隊に延安で堂々と「これで勝利した」と演説したのです。

 しかし、くどいようですけれど、そのとき毛沢東には日本軍の実力、軍事力に関する情報など一切ないのです。しかし、彼は中国の歴史の中に生きる為政者の一人として、そういう瞬間に中国の歴史の中に流れる時間軸の中で、「日本は百年戦争には耐えられない、だからわれわれが勝つのだ」ということを言ってしまう。



 つまり、物事を捉える、考える時間軸に、中国と日本とでは時差というものが大変ありすぎる。物事の決め方において「百年河清を俟つ」ということが、中国ではもう遺伝子のように思考とか行動に染み込んでいるのです。

 中国の100年というのはわれわれ日本人の感覚で言えば5年、10年である。せっかくお隣にあって、これだけ文化的、歴史的な影響を受けている日本が、そういうことを分からない。それがやはり日中関係の難しさであり、悲劇の一つではないかというように思います。







出典:10ミニッツTVオピニオン
石川好『百年河清を俟つ~中国流の物事の解決方法~』








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