2014年5月8日木曜日

「意訳は読むな!」


話:足立大進(円覚寺)


「不立文字」を標榜する禅に、典籍がもっとも多いのは奇妙である。

 他の宗門では、その宗祖の言行が教綱であり、そこに教理が立てられ、教化が行われる。まるで一本の傘下に帰するがごときである。

 一方、禅門では歴代の祖師は「直指人心」の旗印の下、それぞれ独自の宗風を挙揚される。喝雷棒雨の険峻あり、灰頭土面の応接ありである。把住・放行自在、ついには「逢仏殺仏・逢祖殺祖(臨済)」の活作略にいたる。

 接化の方便たるや、仏典・祖録は言うまでもなく、『四書五経』をはじめ中国のあらゆる文辞をもちい、さらに方言・俚語をも駆使し、じつに奔放なものである。まさに、千人の祖師あらば千本の傘の観をなした。そこに禅の本領がある。



 そうして用いられた禅語を網羅し、上梓することは至難のわざである。近年になって、禅語の意訳を付した『禅林句集』が幾種か刊行され、便利で役立った一面もあるが、それが意訳であるがために禅語本来の趣きが薄れ、妙味を損する弊も見られた。

「意訳は読むな!」と先師、朝比奈宗源老漢に叱責されることも多かった。

 岩波書店のご尽力をえて、やっと陽の目を見た。現代語訳と訳註もと求められたが、先師のお叱りもいまだ耳底にあり、割愛した。



胡言漢語休尋覓
胡言漢語(こごかんご)尋覓(じんみゃく)することを休(や)めよ

刹竿頭上等閑看
刹竿頭上(せっかんとうじょう)等閑(とうかん)に看(み)よ







引用:足立大進『禅林句集 (岩波文庫)




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