2015年3月4日水曜日

ロシアの森と、三陸の魚 [畠山重篤]


「栄養が豊富なのに、なぜ魚が少ないのか?」

それは長らく海洋生物学者にとっての謎だった。

そうした海域は「HNLC(High Neutrient Low Chlorophyll)」と呼ばれ、栄養塩(チッソやリンなど)が豊富であるにも関わらず、夏になっても植物プランクトンの増殖がみられずにいた。それは南極海、東部太平洋赤道域、北太平洋亜寒帯域などに広がっていた。



1930年代からの謎は、1989年にようやく解明された。

ジョン・マーチン博士(米国ウッズホール海洋分析化学者)が科学雑誌『ネイチャー』に掲載された論文にはこうあった。

「HNLCの海域の海面近くでは、栄養塩は残っているのだが『鉄』がまったくなくなっていた。このことから、植物プランクトンの成長とそれによる生物生産は『鉄の不足』によって制約されている」

実際、HNLCの海域の海水を採取して「鉄」を加えてみたところ、植物プランクトンの増殖は2~3倍に増加した。そして、その後に行われたHNLC海域への鉄の散布実験では、植物プランクトンの代表である珪藻の数は、最大85倍にも増殖している。







では、海にはどうやって「鉄」が供給されているのか?

ジョン・マーチン博士は、それが「黄砂」であると考えた。黄砂のとどく日本近海では植物プランクトンが活発化しやすいが、アジア大陸から遠ざかるほど植物プランクトンは増えにくくなっていた。



しかし、黄砂が飛ぶのは春先の短い期間に限られる。

とすると、黄砂のほかにも鉄の供給源があるはずだ。



白岩孝行准教授(北海道大学低温科学研究所)は、それをロシアの「アムール川」であるとした。

アムール川流域に広がる森林面積は、日本の国土の5倍という広大さ。そして北海道の面積に匹敵する湿地帯が延々と横たわっている。そうした森林や湿地帯では鉄がフルボ酸と結合し(フルボ酸鉄)、酸化しないまま植物プランクトンや海藻に吸収されることになる。

アムール川の水量は毎秒1万立法メートル。東京ドームが2分間で満水になるとてつもない水量。水に浮かぶフルボ酸鉄は海流によってオホーツク海に運ばれ、遠く日本、三陸の沖合にまで達しているという。







東北三陸の沖合は、世界三大漁場の一つと呼ばれている。それほど豊かな海域である。

この海域は暖流と寒流の交差地点でもあり、暖流に乗ってくるカツオやマグロは水温の冷たい海流に遭遇するとストップする。逆に寒流に乗ってくるサンマやイワシ、サケ、タラ、ニシンなどは温かい暖流にであうとやっぱりそこで止まってしまう。だから魚が溜まるという現象が起こる。

そしてさらに、ロシアのアムール川からは植物プランクトンを増殖させる源である「鉄」が休みなく供給され続けている。なんという恵まれた、贅沢な漁場であろうか。







三陸で漁業に従事する畠山重篤さんは、豊かさの源、アムール川を訪れた。

「アムール川が見えてきた。冬は寒さが厳しく、マイナス20~30℃の日が続き、川には厚さ2mもの氷が張るという。三陸沖の豊饒さを支えているのは、この4,000㎞も離れたアムール川源流の森林なのだ。船でアムール川へ出た。間違いない、水の色はフルボ酸鉄の色だ。思わず、ロシアの森に最敬礼してしまった」














ソース:岳人 2015年 02月号 [雑誌]
畠山重篤「ロシアの森に最敬礼」




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