2015年4月10日金曜日

山形中央高校の武士道、「そこまでやるか」 [上甲晃]



話:上甲晃






 私はどうしても”この学校”に行ってみたかった。山形中央高校といいます。「山形中央高校に一回行ってみたい」と思ったのです。

 この高校が、なぜ有名になったのか?

 山形といえば日大山形高校などが高校野球の常連校です。日大山形は全国から野球の上手な人を集めて、素晴らしいグラウンドもあり宿舎もあって、野球が強くなる条件は全部そろっています。ところが山形中央高校は県立高校。部員数31名は全員、山形県出身です。



 山形中央高校が有名になったのは決勝戦です。山形大会の決勝戦で、急に有名になったのです。9回裏まで 0-3 か 0-4 で負けていました。そして最終回の9回裏に劇的に逆転して、優勝を決めたのです。

 ここまでは、よくあることです。その次がすごい。彼らは誰一人として、その場で抱き合ったり、マウンドに駆け寄ったりという喜びの姿をあらわさずに、まったくの平常心で整列して「ありがとうございました!」のあいさつをしたのです。その姿がマスコミで取り上げられて、話題となったのです。






 これは実は「武士道」なのです。

 剣道でも、勝ったときに喜びの表情をしたら、その瞬間に失格です。それはなぜか? その勝負が決するときまで、相手も同じだけの精進をしてきた。その相手のことを思いやるから、たとえ自分がどれほど歓喜に沸いても、相手の前では喜びをグッと抑えるのが日本人の美学なのです。

 それを山形中央高校の部員たちが実践したものですから、大変な話題になりました。



 自分たちだけだったら、どんなに万歳してもいい。ただ、相手の前だったら、一切そういうことをしない。いろいろと聞いてみると、決勝戦以外でも、どんな小さな地方大会でも、野球場の職員さん方はそのことを絶賛しているのです。

 あいさつ、掃除のすべてが行き届いている。行儀にしても、カバンを並べるのもスパイクを並べるのも、すべてビシーッと一直線。寸分違わない。どこに行っても職員さん方は「あの学校は大したもんだ」と言っていました。






 そして甲子園に出たわけです。甲子園でもそれが非常に話題になって、宿舎の周りの人たちからも差し入れがあるなど、非常に評判を得たのですね。甲子園でも、ゴミが飛んできたら選手がボールを拾わずにゴミを拾って、拍手喝采を受けました。

 3回戦で負けましたけれども、その時も一切平常心。涙を流す人は一人もいなかったし、甲子園の土を集める人も一人もいなかった。いつものごとく平常心をもって去って行った。ということで、これまた非常に話題になりました。



 ですから、この野球部でどのような教育をしているのか見たかったのです。

 行って驚きました。まず、あいさつがいい。ビシッとするあいさつも素晴らしいけれども、朝7時半からの練習は、30分間があいさつの練習です。しかもビシーッと横に一直線に線を引いて並んで、寸分違わず角度もそろえて「おはようございます!」と言う練習。次は座ったときの練習です。

 グラウンドも整備されている。まるで絨毯を敷いたように整備されているのです。ボールが入っている籠の中も、まるで卵のパックのように全部きれいに行列していました。まっすぐに並んでいるのです。カバンも机も一直線。しかも、壁面に張ってるのは論語や先人の言葉ばかりです。



 この監督は

「野球は手段。われわれは人間的な成長をするために野球をやっている」

という考え方なのです。優勝するために野球をやっているのではないのです。野球という手段を通じて、人間力を上げることに教育の原点を置いているわけです。






 その時、私が一番感動した言葉は

「あいさつは野球より難しい」

 それを聞いたとき、「あー、俺の青春塾と一緒だ」と思いました。あいさつは野球より難しいのです。たとえば、ふてくされていても野球はできます。けれども、ふてくされていては”本当のあいさつ”はできないのです。傲慢な気持でも野球はできますが、傲慢な気持ちで人に”本当のあいさつ”はできないのです。

 どういうことか? 野球はある意味において”技術”なのです。あいさつは”心”なのです。心が整っていないとあいさつは出来ません。技術は、身につければ野球はできます。しかし、あいさつは本当にその心がなければ出来ないのです。



 私の持論は「真理は平凡のなかにある」ということなのです。

 私はこう思います。「誰でもやっている当たり前のことを、誰よりも徹底してやる」、それが底力なのだ、と。







 私が松下電器にいた頃、一番大事にしたのは「そこまでやるか」の合言葉でした。難しいことなどしなくていい、特別なことなどしなくていい。誰でもやってる当たり前のことに「そこまでやるか」と言われるほど徹したときに、初めて人の心を動かすことができる。そこそこにしかやっていない間は、絶対に人の心を動かすことなどできない。

 これは、松下幸之助から私が徹底して教えてもらったことです。



 山多賀中央高校もヒモを持っていましたが、私も松下電器に在職中は、必ずポケットに「たこ糸」を入れていました。会議の座席、机、名札から資料に至るまで、すべてタコ糸を使って寸分違わずビシッとそろえるためです。ペットボトルを置くときは、位置はもちろん、方向もラベルが見えるようにビシッと並べるのです。

 若い社員は「座ったら一緒でしょ」と言いますが、即座に叱りとばされます。

「心の限りを尽くして準備した部屋は、空気が変わるんや!」

と言われます。

「空気が変わることが分からなければ、経営者にはなれん。経営者は空気で経営がわからなあかん」

と教えられたのです。

 会議室の用意をビシッと整えておくと、他所の会議室に行ったときに、その違いが分かります。机がガタガタしていたり、席の前後が広かったり狭かったり、他の会社の会議室に足を踏み入れた瞬間に「この会社は儲からんな」ということが空気でわかってくる。なんとなく空気が「締まらない」と感じたり、「空気の力」が感じられるようになってくるのです。







 宴会で座布団をビシッと並べ終わったとき、先輩から

「おい上甲、お前の座布団、前と後ろが反対や。裏と表も逆や」

と言われました。「えっ? 座布団に前とか後ろとかあるんですか?」と言うと、本気で叱られました。「座布団には前と後がある。裏と表もある。一流の料亭では全部ビシッとそろっている」と言うのです。

 本当にそうでした。名だたる料理店に行くと、座布団の前後・裏表がすべて揃っているのです。真理は平凡のなかにある。その中には「空気力」と呼ばれる、空気でわかる力があって、それを感じる力がついてくるのです。



 「継続は力なり」と言いますが、継続は「微妙な変化に気づく力」を与えてくれる。

 繰り返しになりますが、「難しいことなんてせんでえぇ。むしろ人間として当たり前のことを徹底してやる。合言葉は”そこまでやるか”」。それが底力の差ということであります。
















(了)






ソース:10ミニッツTVオピニオン
上甲晃「真理は平凡のなかにある」「そこまでやるか」




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