2015年6月30日火曜日

心に物なき売卜先生 [剣客禅話]



〜話:加藤咄堂〜



 神田は柳原の辺の大道易者、今日は朝から一人の客もなく、夕餉(ゆうげ)の料も得難(えがた)きに、フト思ひつきたるは、当時剣術の道場にては試合に来りし修行者には勝っても負けても飯を食はして何程(なにほど)かの草鞋銭をくれることで、

「こは妙計なり、我れ修行者となって道場に赴かん、負けるはもとより定まりたれど、一つ打たれさへすれば夕餉の心配はない」

と大胆にも柳生但馬(やぎゅう・たじま)の道場へと出かけて、同じ打たれるならと覚悟を決めて

「先生と試合したし、御弟子は御免こうむる」

と言ふに、道場にては「さては名ある剣道者の来りしならん」と、この由(よし)を但馬(たじま)に通じ、但馬は出て一礼するに、別段武芸者らしい所もなし。不審ながらも立ち合ふに、売卜(ばいぼく)先生は打たれる覚悟、恐れげもなく木刀持って立てるを、但馬、小癪なりと同じく木刀は取りしものの、相手の体は全くのスキだらけ。

「サァ打て」

と掛け声したる売卜先生の態度は、どこに変化の手あるやと、己が腕に覚えのあるだけ力負けして容易に手を下さぬに、此方(こなた)は打たれさへすればよいと、

「ヤァ!」

と掛声する。但馬はますます驚きて、手の下さんやうもなし。一足二足、後(あと)へよると、此方(こなた)は「ヤァ、ヤァ」と進む。余程の腕前と木刀投げ棄て、

「驚き入ったる貴殿の腕前。そもそも何流を御修行ありし」

と言ふに売卜先生も驚きて、顔赤らめながら事の始終を語りしに、但馬は黙然として我が修行の足らざるをかこち、

「剣は心にあり、彼れ打たるると覚悟を定めて勝敗に念なし、この念なきが故に我が術も施すあたはざりしか」

と言ふたといふ話がある。心に物なきの力ほど大なるものはない。






引用:加藤咄堂『剣客禅話




0 件のコメント:

コメントを投稿