2015年7月1日水曜日

当意即妙 [宮本武蔵]



〜話:加藤咄堂〜


 宮本武蔵の剣機禅機については、勝海舟の『氷川清話』に当意即妙の一話を挙ぐ。

 宮本武蔵と云ふ人は大層な人物であったらしい。剣法に熟達しておったことは勿論の話だが、それのみならずこの人は仇(かたき)があったので、初めは決して腰から両刀を離さなかったが、一旦豁然として大悟するところがあって、人間は決して他人に殺されるものでないと云ふ信念ができ、それからといふものは、まるで是迄(これまで)の警戒を解いて、何時(いつ)も丸腰で居(お)ったそうだ。

 ところが或る時、武蔵が例の通り無腰で庭前の涼台(すずみだい)に腰をかけて団扇(うちわ)であおぎながら、余念もなく夏の夜の景色に見とれていたのを、一人の弟子が先生を試さんと思って、いきなり短刀を抜いて涼台の上に飛び上った。武蔵はアッといって忽(たちま)ち退くと同時に、涼台に敷いてあった筵(むしろ)の端をつかまへて引っ張った。すると、そのはずみで弟子は涼台から真っ逆さまに倒れ落ちたのを見向きもせずに、平然として「何をするか」と一言いったばかりであったそうだ。

 人間も此(この)極意に達したらどんな場合に出合っても大丈夫なものさ。いわゆる心を明鏡止水(めいきょうしすい)のごとく磨き澄ましておきさえすれば、何時(いつ)如何なる事変が襲って来ても、それに処する方法は自然と胸に浮かんで来る。いわゆる物(もの)来りて順(じゅん)応するのだ云々。





引用:加藤咄堂『剣客禅話




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