2015年10月2日金曜日

神輿に刺さる、清盛の矢 『新平家物語』



吉川英治『新・平家物語』より






「院には、なんの誠意も見られぬ。請願の儀は、二件とも、突っ返された。加賀白山の一か条だに、裁可ある見込みはない。このうえは、神輿を奉じて、法王の蒙(もう)を、ひらき奉れ」

 いま、鳥羽院から帰って来た横川ノ実相坊や止観院ノ如空坊は、ここに交渉の帰結を待っていた二千余の大衆にむかって、感神院の石段の上から、交渉の決裂を、揚言した。

 大衆は憤激して、

「行けっ。懲(こら)しめろ」

と、すぐ身じだくにかかり、神輿の動座にむらがった。

 動座に先立って、百星にまがう灯明がともされた。祇園の林も煙るばかりに護摩をたく。梵音(ぼんおん)、磬音(けいおん)の仏楽(ぶつがく)は、出陣の鉦鼓(しょうこ)に似ていた。何か、ものすさまじい呪気(じゅき)がただよう。やがて、白丁(はくちょう)を着た人びとの肩に、担(にな)い出された日吉(ひえ)山王の神輿は、金色さんさんと、陽(ひ)を照り返し、大衆の鬨(とき)の声に乗って、ゆら、ゆら、ふもとの大路へむかって進んで来た。



 と。突然。

「凶徒ども、待てっ」

と、どなって、神輿の行く前に、立ちふさがった一個の男がある。

 なんのかざりもない、鉄(くろがね)のかぶとをかぶり、荒目の具足を着、わらじばき、手に、強弓(ごうきゅう)をたずさえていた。

 すこし、うしろに、かれの義弟・時忠と、平六家長のふたりが、無手ではあるが、まるで、仮面(めん)のような、硬直した顔をそろえて、突っ立っていた。

「鳥羽院に仕える安芸守・平ノ清盛とは、おれだ。叡山(えいざん)に人間がいるならば、これへ出て、人間のことばを聞け。凶徒どもの中には、物の分かる人間もいるだろうに」

 何か、真っ黒な、等身大の阿修羅の彫刻でも口でもあいて、怒鳴っているように、その姿は見えた。





 この不敵な男の態度と、ことばに、山法師の大群は、勃然(ぼつぜん)怒りを逆巻いて、

「すわ! 清盛ぞ」

「葬むれ。血まつりに」

と、吠え猛(たけ)った。

 大法師の如空坊、実相坊、乗円坊などは、さすがに、あわてもしなかった。ひきいる大衆を制止して、こうなだめた。

「いや、いわせてみろ。何を吐(ほ)ざくか。手を出すな。まず、いわせてみるがいい」

 その間に、神人(しんにん)たちの、白い群れは、

「神輿を汚(けが)さすな。神輿を」

と、うしろへ、うしろへと、列を、押しもどした。



 天地の生んだ一個のもの。その清盛は、大路の真ん中にあった。そしてなお、しゃがれ声を、張りつづけていた。

「なんじらの欲するものは、なんじらに与えてやろう。ここに連れてきた舎弟時忠、家人平六のふたりを、受けとるがいい。ただし、ふたりとも、生きものだということを知っておけよ」

「………」

 こう聞くと、対峙して、見すえていた如空坊たちは、苦笑をうかべた。苦しい妥協に来ての負け惜しみと聞いているらしい。が、清盛は、ひと息入れて、さらに、いい放った。

「因(もと)は、祇園の喧嘩であった。神も見よ、仏も、耳の穴をほじって聞け。理非いずれは、双方、酒のうえのこと。喧嘩は両成敗と、むかしからの慣(なら)わしにも聞く。清盛の愛する二名の家人(けにん)を、忍んで叡山へ渡すからには、叡山の主たる、日吉山王の神輿へも、安芸守清盛が、物申さでは、さし措かれぬ」



「あはははっ。……あははは。やよ見ろ、安芸守清盛は、気が狂うたのだ。気が狂うて、来たとみゆるぞ」

「だまって聞け。法師どもっ」

 清盛は、声を張るのに、満身を揺すった。まるで、熱鉄の上の水玉のように、ほお、あご、耳のうらから、汗の玉が、散るのだった。

「狂気か、正気かは、気をしずめて、なお、われのいうところを聞いてからにしろ。日吉山王の神輿も聞けよかし。およそ、神だろうが、仏だろうが、人を悩ませ、惑わせ、苦しませる神やある仏やある。あらは外道(げどう)の用具に相違ない。叡山の凶徒にかつがれ、白昼の大道を押しあるく、なんじ、日吉山王の神輿こそ、怪しからぬ。幾世、人を晦(くら)まし、迷わせて来つらんも、この清盛を、たぶらかすことはできぬぞ。喧嘩は両成敗ぞ。覚悟せよ、邪神の輿っ」



 あ? と、うろたえの表情が、無数の面上をかすめたとき、もう清盛は、弓に矢をつがえ、き、き、き……と、満をしぼって、神輿へ、鏃(やじり)を向けていた。

 横川ノ実相坊は、おどり上がって、頭から火を出すような、大喝(だいかつ)を放った。

「あな、無法者っ、罰あたりめっ。血へどを吐いて、死ぬのも知らぬか」

「血へど? 吐いてみたい!

 びゅんと、一線の弦鳴(つるなり)が、虚空(こくう)に聞こえたとき。矢は、さっと、風を切り、神輿のまん中に、突き刺さっていた。



 とたんに、狂せるような諸声(もろごえ)が、二千余人の荒法師の口から揚がった。白 丁の神人たちも、とび上がって、何ら口ぐちにいった。哭(な)くが如き声、怒る声、傷(いた)む声、戸まやどいの声、放心の声、悲しむ声、吠える獣のような声。声、声、声の一つ一つに生きものの感情がどぎつくほとばしっていた。

 古来。

 どんなことがあっても、神輿に、矢のあたった例(ため)しはない。また、神輿の大威徳を冒(おか)して、矢を向けるばかもないが、もしあれば、矢は地に落ち、射手は立ち所に、血へどを吐いて、即死する。

 こう、かたく、信じられていた。

 ところが、矢は、神輿に刺さった。

 清盛は、血へども吐かず、なお、立っている。



 迷信は、白日(はくじつ)に破れた。それは迷信利用の中に、生活の根拠と、伝統の特権をもっていた山門大衆が、赤裸にされたことでもあった。かれらは、狼狽(ろうばい)と、おどろきの底へ、たたきこまれた。

 しかし、祈祷(きとう)のきかないことを、だれより知っていたのは、祈祷する者たちでもあった。大衆を指揮する大法師たちは、大衆の幻滅と狼狽を、すぐかれらの怒気へ誘って、

「やあ、希代な痴(し)れ者っ。そこな外道(げどう)を、取り逃がすな」

と、暴力を、けしかけた。

 うわっ……と、襲いかかる荒法師の長柄(ながえ)の光りや、土ほこりや、神人たちの棒の雨の中に、清盛の姿は、たちまち蔽(おお)いつつまれて、見えもしなくなった。

 乱闘の渦は、べつな所にも起こった。同じように、時忠、平六の二人も、取り囲まれてしまったとみえる。



 振りまわしていたのは、弓であった。もちろん、弦(つる)は、跳ねてしまう。

 清盛は、横なぐりに、三、四人はそれで、なぐりたおした。あとの行動は、無意識の修羅である。

 だた、目にあまる法師群には、笑うべき抵抗だった。ましてかれらの手には、長柄(ながえ)、薙刀(なぎなた)などの有利な武器も持たれている。

「殺すな。つかまえろ」

 衆徒は、ただひとりの清盛を、狩場(かりば)の猪(しし)みたいに見て、なぶり合った。



「捕(と)って伏せろ。生かして、叡山(えいざん)へ、ひいて帰れ」

「生け捕りにこそ。生かしてこそ」

 実相坊か、如空坊か、声をからして、いっている。

 かれ等の首脳たちが、清盛をここで殺すまいとするのは、慈悲ではない。後日、鳥羽院へする掛け合いのためであり、また、信仰の大反逆人清盛と謳(うた)って、世人の前で極刑にすることの方が、叡山(えいざん)の威を示すゆえんであると考えたからである。



 しかし、勢いは、意のままには、うごかない。

 狂せる大衆と、死を思わない一個との、咬(か)みあいだ。

 清盛は、敵の長柄を奪って、いよいよ荒れまわった。かれのすねや小手(こて)にも、血しおが見え、地上にも、死者、怪我人が六、七人は、たおれはじめた。

 一方、やや離れて、ここと同じ死地にある時忠と、平六も、戦いたたかい、つむじ風のように、清盛のほうへ、移動して来ながら、ひたすら、清盛を、案じているらしく、

「わ、若殿っ……」

と、かなたで叫び、

「兄者人(あんじゃひと)っ……。あ、あんじゃひと!」

と、断(き)れぎれな叫びを送っている。

 清盛も、呼び交わした。

「時忠あっ。平六っ……。怯(ひる)むな、気をのまれるな。おれたちの上にも、日輪はあるぞ」

 終わりの言葉は、自分へいっているのであろう。



 そして、すべては、一瞬間のできごとだったが、騒動は、これだけに、止(とど)まらなかった。

 騒ぎを聞き伝えた付近の細民たちは、いつのまにか、まっ黒に、ここを遠巻きにしていた。何か、わんわんいっていたが、

「叡山の狼(おおかみ)に、食い殺させるな」

と、ひとりが、小石を持ったのを見、

「外道の弟子め」

「法師面(ほうしづら)よ」

「強欲の、悪僧ばらを、やっつけろ」

と、口ぐちから、日ごろの感情を吐き出した。

 次には、われもわれもと、小石をひろって、投げはじめたのだ。弥次馬(やじうま)的な心理とするには、余りに、忿懣(ふんまん)のうなりが聞こえる。突如、降って来た天譴(てんけん)の石の雨と、いえないこともない。



 これと時を一にして、祇園の木々の間から、黒煙りを、ふき出していた。

 一か所や二か所ではない。感神院の境内や、八坂、小松谷、黒谷あたりにも、煙りがみえる。

 法師勢が、秩序も強がりも失って、乱れ立ったのは、このためだった。伏兵がある。敵の伏勢が立ちまわったぞ、と口走りながら、にわかに、潰走(かいそう)しはじめた。

 逃げ足となっては、神輿といえども精彩がない。崩れゆく衆徒の上に舞う砂ほこりに、輿(こし)の屋根を傾(かし)がせ、金色(こんじき)の鳳凰(ほうおう)を横ざまにしながら、見ぎたなく粟田口(あわだぐち)方面へと、立ち退いて行くのだった。



「やあ、むなしく退いて行くわ。これは。奇妙だ」

 清盛は、東山の一角に立ち、はるかを見て、笑っていた。よろいの黒革胴(くろかわどう)を、そばに脱ぎ捨て、半裸の姿で、大汗を吹いている。

 実に、おかしい。笑わざるを得ない。



 二千余の大衆よりも、逃げたのは、もちろん、こっちが先なのだ。

 一矢(いっし)を神輿に射たら、すぐ、脱兎(だっと)のごとく、逃げるつもりで、初めから、心に計っていたのである。

(犬死するな。見得を思わず、逃げ落ちろ)

とは、とかく死にたがっている時忠や平六にも、前もって、かたく、いいふくめていたことである。落ち合う場所も、清水寺のうしろの峰、霊山(りょうざん)の岩鼻と、きめておいたものだった。



 それなのに、あの驕慢(きょうまん)な山法師の大群が、何にあわてて、さきに潰走(かいそう)し出したのか。

 石の雨にも、驚いたのだろうが、諸所に揚がった黒煙りに、すわと、疑心暗鬼に追われたものにちがいない。

「しかし、なんの煙りだろうか」

 清盛にも分からなかった。余煙はなお、太陽を鈍赤(にぶあか)くしている。清盛は瞳孔(どうこう)がひらいたような眼を向けていた。そこへ、時忠ひとりが、登って来た。

「あ。御無事でしたか」

「やあ。来たか。時忠。平六はどうした、平六は」

「平六も、血路をひらいて、逃げました」

「あとから、来るのか」

「とどろき橋の下で、出会いましたが、あちこちの煙りを見て、これはきっと、父の木工助家貞が、何か謀(はか)ったことにちがいない。見とどけて来るといって、八坂(やさか)の方へ、駆け去りました。やがて、参るにちがいありません」

「そうか。……いや、そう申せば、六波羅(ろくはら)の家に、むなしく留守している木工助でもない。じじめが、何か、敵の裏をかいた火の手かも知れぬのう……」







引用:吉川英治『新・平家物語




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