2016年12月10日土曜日

英語とイタリア語、ドイツ語[奥山清行]






話:奥山清行


ぼくは今までの25年間、人生の半分以上を海外で暮らしてきました。日本を出て、アメリカ、ドイツ、そしてイタリアの3ヶ国に住みながら、クルマのデザインを通してさまざまな経験をすることができたのは、とても幸せなことだと思います。



日本という国は、良くも悪くも重力がとても強いので、なかなか離れることができません。でも、いったんその重力から抜け出すと、まるで水を得た魚のように、いろんな国を渡り歩く自分がいました。かつては奥手で、見知らぬ人と言葉を交わすことさえ嫌だった、このぼくが、です。



ぼくは子供のころから、大のクルマ好きでした。3歳くらいからクルマの絵を描いていましたし、小学生のころはミニカーを集めていました。「この子に鉛筆をもたすと危ない」と言われたほど、紙きれだけでなく、家中のいたる所にクルマの絵を描いていたんです。



もちろんクルマばかりではなく、「サンダーバード」や「ウルトラマン」にも熱中しました。ただ、ほかの子と違っていたのは、テレビを見るとき、必ずそばにスケッチブックと粘土を置いていたことです。そして30分の番組が終わるまでには、怪獣や乗り物のスケッチと粘土の模型ができていました。今から考えると、知らず知らずのうちにカーデザイナーになるためのトレーニングをしていたようなものです。たとえばアニメの乗り物を粘土でつくっている時などは、「あ、三次元のモデルでは成立しない線があるな。ここは直してあげなきゃ」と思ったりしていました。



高校を卒業し、美術大学にはいってわかったのは、グラフィックデザインを学んだ優秀な学生は、卒業すると電通や博報堂に入社するということでした。世間ではそういう進路が正しいと考えていたようですが、ぼくは何かが違うと感じて、大学を卒業しても就職せずにアメリカに渡りました。海外で一からデザインを学び直そうと思ったのです。



アメリカの大学を出て、最初に就職したのはGM(ゼネラルモーターズ)でした。次にドイツのポルシェで働き、ふたたびGMに戻って管理職をやりました。それからイタリアのピニンファリーナでデザイナーに就任し、アメリカの大学でデザインを教える仕事についた後、またピニンファリーナで今度はデザイン・ディレクター。そのピニンファリーナを2006年に退職して独立。これがぼくの今までの職歴です。



仕事をするという面から日本の社会と白人社会を比べると、草食動物と肉食動物くらい違います。ぼくは仕事をはじめて25年くらい経ちますが、その間ずっと肉食動物の中で生活してきたことになります。しかも最後のピニンファリーナでは、デザイン・ディレクターという管理職でしたから、草食動物が肉食動物たちの中で、アメとムチを使い分けながら仕事をしてきたようなものです。もちろん、ちょっと気を許すとすぐに猛獣に噛まれてしまいます。背中を向けるとすぐ飛びかかってくる連中ですから、よく噛まれます。イタリアに住むようになってもう10年以上たちますが、毎朝仕事に出かける時には、クルマの中でロック音楽をかけるのがぼくの習慣です。勢いをつけて、肉食獣たちに負けないようにするためです。



月に一回くらいのペースで日本に帰るチャンスがありますが、成田に帰り着くと自分でも顔つきが緩んでくるのがわかります。何年海外で暮らしていても、外国にいる時には目尻がつり上がり、日本に帰ってくると目尻が下がるものです。草食動物の中に戻ってきたので、噛みつかれる心配がなくなるからでしょう。緊張感も緩むらしく、日本に帰るとだいたい2kgくらい太ってしまいます。イタリアに戻ると「お前、何してきた?」と言われるくらいです。



ふだん日本語だけで仕事をしている人にはなかなか気づくチャンスのないことだと思いますが、人間は話している言語によって考え方が変わります。

ぼくはこれまで、日本語のほかに英語やドイツ語、イタリア語で仕事をしてきましたが、それぞれの言語を話すとき、まったく違う自分になっていることに気がつきました。日本語で話しているときの自分と、英語を話している自分、ドイツ語を話している自分、そしてイタリア語を話している自分では、考え方や性格が明らかに違います。

たとえば英語の場合はとても言葉の数が多いので、それをできるだけ速く話す必要があります。それに伴って口の動きも速くなるので、頭に加わる刺激が日本語よりもスピーディです。使う顔の筋肉も違います。それと反対に、イタリア語はとても少ない言葉で意味が通じます。たとえば「ここにあるはずのものがない」と言うとき、英語では「It's not there」と言いますが、イタリア語では「ノンチェ」で話が通じます。そのように短い、少ない単語で意味が通じる言語なので、わずかな言葉でどんどん話題がすすんでいきます。したがって、頭の回転をよほど速くしないと会話に追いついていけません。そのために、イタリア語で仕事をしていると、どんどん先のことを考えるようになり、それにつれて余計なことを考えなくなります。その結果、自分の考えが特化しやすくなり、短時間で自分の考えを伝えることができるようになります。

ところが日本語というのは、余計な言葉がいっぱいありますから、たいしたことのない内容でも伝えるのに時間がかかってしまいます。それは微妙なニュアンスを伝えるときには便利ですが、重要な項目を次々と処理するようなときには面倒です。そういう違いを別としても、日本語は外国語と比べるとずっと複雑です。これは何種類かの外国語で仕事をしてきた人間が言うのですから、間違いありません。日本語を自由にあやつって仕事をする日本人というのは、すごい能力の持ち主だと思います。



ぼくはイタリアに来る前に、アメリカで3ヶ月学校に通いイタリア語を勉強しました。来てからはごく自然に上達しましたが、それはイタリアの人たちと意思疎通するには、イタリア語を理解するほかなかったという事情もあります。彼らが英語を話せないからこそ、ぼくのイタリア語がうまくなったというわけです。外国語の上達には、とにかくどんどん話すことが早道ですから。

ドイツはまったく事情が違っていて、ほとんどの人が上手な英語を話しますから、こちらのドイツ語はなかなか上達しません。よほど気の長い人でなければ、ぼくがたどたどしいドイツ語で話すのを待ってくれず、さっさと英語で話しかけてきます。ドイツ語の会議でも、ぼくが発言しようとすると、急に全体が英語に変わったりするくらいです。ドイツ人は日本人とよく似ていて、中途半端な母国語を話されるのを嫌がります。だからぼくが間違った言い方をすると、その場できっぱりと言い直されてしまいます。そうするとこちらは萎縮しますから、ますます上達が遅くなります。

その点、イタリア人は言い間違いをすごく自然に直してくれます。それもイタリア語を早く覚えられた理由でしょうね。







出典:奥山清行『フェラーリと鉄瓶』




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