2016年5月17日火曜日

中国人とは… [樋泉克夫]




話:樋泉克夫





20世紀の中国を代表する英語の使い手、と称された林語堂は、昭和10年に『My Country and My People 』を出版しました。







そのなかで「民族としての中国人の偉大さ」と題し、次のように興味深いことを記しています。


「煩雑な礼節を制定する力量があると同時に、それを人生の一大ジョークとみなすことができる」

「罪悪を糾弾する力量があると同時に、罪悪に対していささかも心を動かさず、なんとも思わぬことすらできる」

「官吏に対する弾劾制度、行政管理制度、交通規則、図書閲覧規定など細則までよく完備した制度をつくる力量があると同時に、一切の規則、条例、制度を破壊し、あるいは無視し、ごまかし、もてあそび、操ることができる」


要するに、中国人は融通無碍で変幻自在、ひとことで言えば「なんでもあり」ということです。







引用:致知2016年6月号
樋泉克夫「生き方から考える中国の世界戦略」




2016年5月9日月曜日

正身端座、懸腕直筆 [田邉古邨と吉田鷹村」



話:吉田鷹村





わたしが(田邉古邨に)入門を申しでたとき、最初に言われたのが

「一生やるか」

というお言葉でした。思わず

「はい」

と答えて、それから今日まで70年以上つづけてきたわけです。50年ちかく師事してきました。







(田邉古邨)先生の指導は

「正身端座(しょうしんたんざ)

「懸腕直筆(けんわんちょくひつ)

といって、体をグッと正して筆をまっすぐに立て、歴代の諸々の古典、漢字では楷書、行書、草書、それに日本の仮名をひたすら臨書する、という方法です。



半紙をわきに積んで、きれいな水を硯(すずり)に落として墨をする。

そこで気持ちをととのえて、毎日4〜5時間、黙々と書きつづける。

それを4年ほど徹底してやりました。



どのくらい続けたころからか、書いていくうちにフッと自分というものを忘れて、ただ筆が動いていく感覚になることがありました。

いま考えると、禅の修行そのものなんです。

しかも、非常に立派な人が書いた古典を手本として臨書するわけですから、みずから古人の情操の追体験ということになります。そんなとき、「書によって自分というものを自分で一段高いところに持ちあげることができるんだ」という実感をもちましたね。

古人の性情をくみ、みずからの性情をたかめ、豊かにすることが大切なんです。











引用:致知2016年6月号
吉田鷹村「94歳、まだ前進せねば」




2016年5月7日土曜日

「画を望ば我に乞うべし」 [曾我蕭白]







画を望ば我に乞うべし

絵図を求んとならば円山主水よかるべし

曾我蕭白(そが・しょうはく)

本当の絵を求めるなら、私に頼め
ものを写すだけでよければ、応挙でよかろう