2017年8月13日日曜日

鏡に映った自分を、敵と間違えたアメリカ[WW2]



話:ヘレン・ミアーズ







脅威とは何か


日本の興亡を見直すことは重要なことである。この問題は、日本国民の懲罰の正当性にかかわるだけでなく、2回の世界大戦を経験した混乱の時代に、アメリカの外交政策の舵をとるものの資質にかかわっているからである。

この時代を通じて、支配的な世界管理体制とされてきたのは、常に、そして不思議にもイギリス型「安全保障」システムと呼ばれる力の均衡政策だった。イギリスは、仮想敵グループとの均衡を維持するため、伝統的、かつあからさまに、時の弱小国を傍につけてきた。このシステムは、現実には、イギリス帝国の権益を伸ばし、イギリスの覇権に刃向かいそうな国の出現を阻むためにつくられたものなのだ。

アメリカは1812年戦争(米英戦争)以来、伝統的にこのシステムに従ってきた。しかし、第二次世界大戦直前までは、このシステムに対してどういう姿勢をとっているのか、はっきりしなかったし、政策立案者も態度を明確にしていなかった。世論も意識してこのシステムを支持しているわけではなかった。

イギリスが直接支配する広範な地域で、平和を維持し、あるいは安定をもたらし、生活水準を向上させるという点では、このシステムは明らかに失敗だった。今日、アメリカ政府が世界に向けて、このシステムを強化していく考えを明らかにしているだけに、このシステムが極東でどのように機能したかが、きわめて重要な問題となってくる。



力の均衡政策の失敗を最も鮮やかに浮かび上がらせるのは、日本の近代における米英と日本、米英とロシアの関係である。

史実から端的にいうなら、イギリス型「安全保障」体制はまさしくボウリング場だ。たくさんの国がピンのように並べられ、倒されたり、立てられたりしてきた。まずロシアを倒すために日本が立てられた。そして、日本が「信頼できない」とわかると、日本を倒すために、ソ連が立てられた。これがヤルタである。しかし、ソ連も日本以上に「信頼できない」ことがわかったので、今度は中国を立てようとしている。「進歩的」な蒋介石のもとに強力な中央政権をつくって、もう一度ソ連を倒させようというのだ。

私たちが韓国の「安定化」を図っているのも、同じ目的からである。そして、日本列島はそうした活動の基地として考えられている。もしこの愚行が止められなければ、あるいは戦争がなければ、この先20年ぐらいのうちに、私たちは日本かソ連をもう一度立て、中国を倒そうとするかもしれない。



こういう国際関係の愚かさは、1947年3月19日付ニューヨークタイムズの記事「ソ連の拡張が内包するアメリカの危機」によく表れている。「世界征服」を目指す日本の神話的野望について教えてくれた、例のオットー・D・トリシャス記者の報告だが、それによると

「もし中国がソ連あるいは共産主義の手に落ちれば、我が国が日本から守り抜いたもの、つまり中国を共産主義ロシアに与えることになる」

そして彼はさらにこう予測するのだ。

「ソ連の中国征服によって、アメリカの影響力と利益は中国から完全に締め出されるだろう。これは、日本による征服以上に徹底したものになる。それだけでなく、アジア全域で共産主義の地滑りが起こり、人類の半分がわれわれの敵になることを意味する」

そしてトリシャス記者は、「中国を外国の支配に委ねようとする反乱勢力を断固粉砕しようとしている」蒋介石総統を「支持する」ことが解決の道だという。



私たちの新聞を埋めるこういう論評、感情的に「共産主義の脅威」と「ソ連を押しもどす」必要性を叫ぶ政策立案者と政治家の意見を聞いてみると、私たちはいったい何のために日本を「罰しよう」としているか、わからなくなる。

こうなったら、日本の軍部指導者に勲章を、日本国民にカリフォルニアを贈るべきだ。彼ら日本人は「中国を征服」しようとした、非難することはできる。しかし、日本の指導部が満州と中国における行動を説明するのにつかった言葉と、今日私たちアメリカの政策立案者や著名な評論家がアメリカの政策を説明するのにつかっている言葉は、まったく同じなのだ。

日本は彼らの行動について、われわれが満州と中国に軍隊と行政官と資金を送ったのは、われわれの「条約上の権利」を強化し、「共産主義の脅威」を抑え、混乱状態に秩序をもたらし、国家の存立を保全し、外国勢力と国内の軍閥支配からこの地域を解放し、極東の平和と秩序を促進するためである、と言っていた。

この主張は、私たちが朝鮮占領と対中国政策を説明するときの論理とまったく同じである。蒋介石政権に対する巨額な借款、政治的支援、「顧問」の提供、蒋介石軍の増強と内戦中の兵員輸送の援助などの目的は、かつて日本が掲げていた目的と同じである。この政策が日本に関して間違っているなら(私たちはそれを罰している)、私たちに関しても間違いだ。



国際関係に対する私たちの行動がいかにばかげているか、これもニューヨークタイムズを読めば明らかだ。バージニア選出のハリー・F・バード上院議員の発言をあつかったワシントン発の記事(1946年1月31日付)はこういう。

ハリー・F・バード上院議員は本日、ソ連が千島列島を完全に支配しているのに、アメリカが占領した島を国連の信託統治下に置くというのは「愚かなことである」と述べた。同議員はかねてから、太平洋の重要な米軍基地は米国独自の支配下に置くべきであるという意見を、率先して唱えている。

直接引用された同上院議委員の発言は「重要な基地はアメリカが完全支配すべきであるというのが、国民の「事実上一致した感情である」というものである。この問題で国民投票したわけではないのだから、同上院議員がどうやって、一致した国民感情を知ったのか、明らかではない。今日ソ連が千島列島を完全支配している」のは、アメリカ大統領とイギリス首相がパワーポリティクスの典型的密約で決めたことだ。

ソ連はいま、旅順と満州で守られているが、これは連合国首脳間の協定によって「合法的」なのだ。日本も、同じようにして朝鮮と旅順に出ていったのである。



どうやら私たちの政策は、まずよその国の力を強化し、次いでその国に対抗するために自分の力を強化するというものらしい。もしこの政策の狙いがはっきり見えたら、アメリカ国民は「一致して」反対するだろう。

アメリカは戦時中はソ連に協力していたのに、戦後は手のひらを返したようにソ連を敵視している。この豹変をみる日本と「後れた」地域は、いまの教育者である私たちアメリカが、自分たちに何を教え、どういう国になってほしいと思っているのか、混乱するに違いない。

私たちアメリカは現在、「ソ連を押しもどす」そして「共産主義の脅威と戦う」ことを政策として明らかにしている。これは実に日本が、彼らの全近代をかけて実践してきた政策だ。そして、そのために現在どんな扱いを受けているか、思い知らされていることだ。それだけに、私たちがどうやってこの政策を実行していくのか、日本にしてみれば考えるだけで頭がこんがらがってくるだろう。



私たちがいいつづけてきたように、日本が「世界の脅威」、「千年を超える内戦の歴史の中で培われた世界征服の野望でまとまる」民族であるなら、ソ連は極東において歴史的に正しかったわけだ。そして、米英両国の政策担当者は、1894年から1905年まで、その正しいロシアに日本を刃向わせていたのだから、これはまさに「犯罪的に無能だった」ということになる。

今日私たちがいっているように、ソ連が「世界の脅威」であり、日本を支援したかつての米英両国の政策担当者が正しかったとすれば、ソ連を抑止し、「混乱した」地域に秩序をもたらし、中国における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保するために、満州を緩衝国家にしようとした日本を支援しなかった1931年以降の米英両国の政策担当者は「犯罪的に無能だった」ということになる。

そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールまで悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでなく、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶりは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。



私たちの政策担当者は、パールハーバー以前の政策と現在の政策をどう整合させようとしているのか。

何百万の生命と何十億ドルに相当する物量と人力をかけて、私たち自身の民主主義をぶち壊してしまう前に、政策担当者は「脅威」の実体について、もっと透徹した思索をめぐらし、揺るぎない決断を下すべきなのだ。






パワーボリティクスは逆噴射する


国際関係は歴史と同様複雑である。事実をめぐっていつも「解釈」が対立する。

イギリスの安全保障システム(今日ではアメリカの「防衛」システムだが)は、多くの権威によって正当化され、褒めそやされている。しかし、私たちアメリカが掲げる平和と人類の幸福という目的に即してこのシステムを見ると、明らかに不利となる事実を2つ指摘することができる。

第一は、日本はイギリスとアメリカの全面的協力がなければ、軍事大国になることができなかったということである。第二はソ連に関する事実である。イギリスのパワーポリティクスの絶えざる刺激がなかったら、ソ連はどうだったのだろうか。はっきりしているのは、平和を維持し、ソ連を抑止する目的でデザインされたイギリスのシステムは、そのいずれの目的も果たせなかったということである。パワーポリティクスは、日本とソ連では明らかに逆噴射したのだ。



アメリカ人がこの2つの事実から学ぶべきことは、「リーダー」は進路を示さなければならないということである。国際問題でリーダーシップを発揮しようという大国が、隠蔽しようが明示しようが、対立ブロック形式の意図をもって、あからさまに軍拡の道を歩み、隣接の、あるいは遠隔の政権を武装化するなら、その結果は12歳の子供でも予言できる。私たちアメリカは本当に平和を愛しているのか。もし愛しているなら、政策を通して私たちの特性をもっとはっきり示すべきだ。

西洋列強が日本に教えた最初の教科は「力は報われる」ということだった。これに対して、日本の近代史がアメリカ国民に教えているのは「パワーポリティクスは逆噴射する」ということかもしれない。

もし私たちが次の世代に「平和は報われる」という信念を教えたいのなら、やがて制動が利かなくなる「脅威」の創出を止めて、平和の可能性に対する確信を示すべきだ。平和教育は、基地、巨大軍備、軍隊の海外駐留、中国の(その他どこであれ)軍閥の支援、あるいはパワーポリティクス信奉者の旧式な尊大さをもって、成就できるものではないだろう。



今日、極東に平和と秩序をもたらそうしている計画は、かつて失敗したものと同じである。日本は同盟国として信頼できないことが証明された、だから、見せしめに厳しく罰しなければならない、そして中国は日本に代わる近代国家としてつくり上げられなければならない、という。

中国は強力な中央政府のもとに統一されなければならない、制度を近代化する必要がある、国をまとめるために近代的通信網を整備しなければならない、工業化を促進しなければならない、中国が名実ともに大国になるためには、強力な近代的軍事国家にならねばならない、そのためには、輸出をさかんにし、戦争に必要な物資、機械、武器を輸入できるようにしなければならない、という。中国は民主主義諸国と協力して、ヤルタでチャーチルとルーズベルトが同席させたソ連を、極東から締め出す役割を担わなければならない、という。

いまにしてみれば、この政策によって日本は平和と秩序にではなく、戦争と混乱に行き着いたことがわかる。しかし、後知恵で賢くなるのは簡単だ。アメリカ人が本当に平和を求めるなら、事の前に賢くならなければならない。

過去に失敗した政策が、将来に成功するはずがない。成功するという人は、能天気な希望的予測と、日本人は生来好戦的で中国人は生来平和を愛しているというずさんな論理を信じているのだ。「条件さえ与えられれば、すべての人間は好戦的になる」、これが事実だ。私たちはかつて、そういう条件を日本人に与えた。そして今度は中国人に与えようとしている。



日本人が最初に学んだ教訓は、国際関係における「合法性」とは、すなわちパワーポリティクスであるということだった。これに対して、日本の歴史が西洋諸国に教えるのは、パワーポリティクスにおける「安全な」同盟国はいつまでも安全であるわけではないということだろう。

日本を近代的軍事・工業国家に育てる中で、いくつかのことが見落とされていた。つまり、工業化はダイナミックなシステムに向かうこと、力はさらなる力の必要と渇望を生み出すこと、そして「安全な」同盟国は力を強めるにしたがって安全でなくなること、パワーポリティクスが支配する競争世界で、ひとたび覇権の拡大(あるいは「合法的」拡張)に向かうと、物資と市場を競争相手の国に依存しているという事実が不安感と不信感を醸成させ、より多くの物を求めずにはおかない過剰「安全性」に駆り立てること、西洋列強がコミットメントでアジアに深入りし、日本がコミットメントで満州と華北に深入りしたように、コミットメントというものは国家を追い込むものであること、が見落とされている。

このように、日本の最初の教育は、私たちにとって単なる学問ではないのだ。もし私たちアメリカがその教訓をしっかり学ぶなら、いまからでも、破局にいたるのを防げるかもしれない。



しかし現実の政策では、私たちは19世紀と今世紀初めの過ちを、驚くほど正確に繰り返している。

私たちアメリカは現在、ソ連の「脅威」にあまりにもとらわれすぎている。だから、私たちが戦争支援勢力にするため大急ぎで軍事国家に育てている「後れた」地域と小国が、やがて私たちの「脅威」になることを考えてもみない。私たちは蒋介石政権を支援し、中国の支配者にした。この政策によって、恐らく、中国「共産党」はソ連の庇護を求めるようになるだろう。そして人民の正当な革命であるべきものを、パワーポリティクスの複雑かつ破壊的ゲームに引きずり込み、中国人民をまたぞろ私たちの犠牲にするのだ。

この本で考えているのは極東の問題である。しかし、アメリカが強力な「防衛システム」をさらに教科しようとして、南アメリカの「共和国」(アルゼンチンなど)を武装させ、さまざまな工業開発計画で援助していることについて語るのは、けっして無関係ではないと思う。私たちの安全保障の将来を危険にさらすには、これ以上結構な政策はないのである。人口過密の小さな列島、日本が半世紀をかけて行き着いた先がここであった。

やがて南アメリカが世界国家の意識に興奮するとき、あるいは、軍事的に十分強くなって私たちの経済支配と人種的優越性に怨みを抱くとき、彼らはどこまで行っているのだろうか。投入装置がこれほどまでに進歩した今日、ひとつの国を軍事国家にすることは、途方もなく無神経な行為である。私たちは現在の外交政策の指導者(ほとんどが職業軍人とザイバツ)は、力と栄光の夢にまどわされて、日本軍部がアジア支配の妄想にとりつかれたように、現実が見えなくなっている。



アメリカ人にいますぐ答えてもらいたい。

「私たちの力の機械は、すでに私たちの制御能力の及ばないところに飛び出してしまったのだろうか? それとも、まだ機械を制御し、行く先を変える余地が残されているのだろうか?」



(完)





出典:ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡:日本』





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